
テヘターンマキの居住区と学校
コウヴォラのアアルト建築を訪ねて
テヘターンマキ地区(Tehtaanmäki)にアルヴァ・アアルトが設計した建物は1937年から1956年にかけてのものです。これらはコウヴォラ市(Kouvola)にあり、全体を形成するのは工場の建物、ランタリンヤ(Rantalinja)の住宅、テルヴァリンヤ(Tervalinja)のテラスハウス、3軒の戸建て住宅(エンジニアの家)、3棟のアパートメントハウス、テヘターンマキの学校とカルフンカンガスの戸建て住宅です。 タンペラ社(Tampella Oy)は1930年代後半にインケロイネン地区にアンヤラの製紙工場(1937-38年)を設立し、工場の他に労働者用、エンジニア用、管理職用などの住居を建設しました。アルヴァ・アアルトは工場の建物と住宅に加え、周辺にある様々な建物の改築や拡張工事に伴う設計も担当しました。1980年代になると、製紙工場は新しくなりタンペラの工場は1993年には Stora Enso(ストラ・エンソ)社の所有になりました。 アアルトは工場本部の入り口とレイアウト、その近くにある不動産管理者の住宅を変更する計画を立てました。大部分の工場地域の住宅建築は1938年に、テヘターンマキの学校は1940年に完成しました。1937年に設計されたアアルトのインケロイネンの町計画はインケロイネン中心部全体に及びましたが、実現したのはカルフンカンガスと工場近辺のみでした。 アアルト設計の建物は当時モダンで新しい時代のものでした。設計は合理的、且つ経済的に有益でなければならない仕事でした。アアルトはより良い住環境の可能性として、人々が働く中にある技術を評価しました。アアルトにとって建築は普遍的にこちらからあちらへと同じものを作るということではなく、地域の地形と景観を大事にして設計されました。つまり、自然が近くにあり、その風景の中に溶け込む様な建物です。 インケロイネンのプロジェクトはアアルトが少し前に設計した Sunila(スニラ)のパルプ工場と居住区の建設に関係しています。当時の工場の企業団体に属するタンペラ社はアアルト設計事務所の能力を確信していました。何もないまっさらな土地にスニラ社の工場と居住区が建設され、またインケロイネンでは既存の建物が居住面でも産業にも適していました。 インケロイネンでは社会的地位が家のタイプや建築スタイルに表れていました。エンジニアには戸建て住宅、その中でも上級のエンジニアの住宅は大きく、監督責任者は二軒が繋がったタイプの家、事務員と工場の従業員はテラスハウスとアパートメントハウスに住んでいました。モダンニズムの社会的責任と平等の精神で、全ての人に良い生活環境を保証しようとしていました。例えばテルヴァリンヤとランタリンヤの住宅では温水が利用できるようになっていました。 テヘターンマキでは2つの公共サウナがあり、カルフンカンガスの戸建て住宅街にも同様にサウナが建てられていました。住居は自然のよく見える場所で、庭や屋外テラスを室内空間から繋がるようにデザインされました。ここでは人々は自由に暮らすことができました。…