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ヘルシンキのアアルト建築

住所: Helsinki, Finland Google マップで開く

入場料: お問い合わせください

テーマ: オフィスビル, モダニズム, 住宅, 白漆喰, 美術館, 赤レンガ, 集合住宅

ウェブサイト: アルヴァ・アアルト財団

海辺の町ヘルシンキ(Helsinki)はフィンランドの首都で多くのアアルト建築の他に、年月をかけ築かれた代表的なフィンランド建築があります。

フィンランド中部の小さな町、クオルタネ(Kuortane)で生まれたアルヴァ・アアルトは1921年ヘルシンキ工科大学を卒業し建築家としてのキャリアをスタートさせました。1923年、彼はユバスキュラ市( Jyväskylä)に最初の設計事務所を構え、その名前は「Arkkitehtuuri- ja monumentaalitaiteen toimisto」(建築とモニュメンタルアート事務所)でした。その後、事務所はトゥルク市(Turku)に引越し、最終的には1930年代初頭にヘルシンキに移転しました。

アアルトは若い頃に多くの有名な首都圏地区コンペティションに参加しました。例として、国会議事堂(Eduskuntatalo)やオリンピックスタジアム (Helsingin olympiastadion)のコンペティションです。

1936年、建築家である妻のアイノ・アアルトと共にムンキニエミ地区(Munkkiniemi)に自邸を完成させました。現在、ここはヘルシンキ市の一部ですが、当時はまだ独立した地区でした。現在、自邸ミュージアムとして利用されているこの建物にはアトリエ(設計事務所)棟もあります。周辺は彼に馴染みのある場所でした。1930年代初めにこのムンキニエミ地区に、M.G.ステニウス社の住宅区を設計しましたが、それは実現しませんでした。その代わりに国民年金協会(Kansaneläkelaitos)の従業員用のアパートメントを設計し、1954年に完成させました。

1955年、より広い設計事務所の必要に迫られ、ムンキニエミの自邸からほど近い場所にアトリエを完成させました。このアトリエは現在アルヴァ・アアルト財団のオフィス本部として使われており、また国内外から多くの人々が見学に訪れる人気の建物です。

ヘルシンキ周辺には長きにわたりアアルト建築が建てらてました。国民年金協会ビル(KELA)とエンソ=グッツァイト(Enso-Gutzeit)本社は利用者の立場に立ち、細部にまでこだわって内装デザインが施されました。中心部にあり一般にも開放されているラウタタロ/鉄鋼業者協同組合ビル(Rautatalo)とアカデミア書店(Akateeminen kirjakauppa)、また1937年にオープンした レストラン・サヴォイ(Ravintola Savoy)はアイノとアアルトが共にデザインした内装がオリジナルの姿のままで現在も使われています。

文化会館(Kulttuuritalo)は1958年にヘルシンキ中心部ほど近くに完成しました。現在でも多目的なイベントに使用されています。豊かな歴史を持つこの建物へはガイド付きツアーで見学ができます。

1959年、ヘルシンキ市はアアルトにカンピ〜トォーロ湾(Kamppi-Töölonlahti)周辺のヘルシンキ中心部の都市計画を依頼しました。彼はヘルシンキを新たなモニュメンタリズムの中心にと考えていましたが、彼のアイデアは結局ごく一部だけしか実現することはできませんでした。トォーロ湾岸に計画した文化的建物の中で唯一実現したのがフィンランディアホール(Finlandia-talo)です。

会議場とコンサートホールとして設計されたフィンランディアホールは、アアルト設計事務所が後期に手掛けた建物の一つです。ここは1967年から1971年、1973年から1975年にかけて2度にわたり設計されました。アアルトはフィンランディアホール完成後間も無く、1976年にその生涯を閉じています。アアルトの代表作ともされるこの建物はガイド付きツアーで、または様々なイベントの際にご見学頂けます。

フィンランディアホールの外壁には白いカッラーラの大理石が使用されている。写真:Rune Snellman(アルヴァ・アアルト財団)

アアルト自邸の庭は設計のプロセスで重要な役割を担った。写真:アルヴァ・アアルト財団

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アアルトの赤レンガ時代の傑作の一つと言われている文化会館。写真:アルヴァ・アアルト財団
Finlandia-talo
細部のデザイまでこだわりが見られる文化会館のフィンランディアホール。写真:アルヴァ・アアルト財団
Kulttuuritalo, Helsinki
コンサートホールは音響を優先し設計された。写真:アルヴァ・アアルト財団
Alvar Aallon kotitalo, Helsinki
アアルト自邸、リビングルームと奥には仕事場として使われたアトリエ。写真:Maija Holma(アルヴァ・アアルト財団)
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湾曲したアトリエは建物のメインスペースであり、中庭を見渡すことができる。写真:Maija Holma(アルヴァ・アアルト財団)

訪問先 ヘルシンキのアアルト建築

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

国民年金協会の住宅エリア

ヘルシンキのアアルト建築 / 1952-54

アルヴァ・アアルトは1952年に国民年金協会から、ヘルシンキのムンキニエミ地区(Munkkiniemi)に従業員用の集合住宅の設計依頼を受けました。アアルト夫妻と協会の共同プロジェクトは、アイノとアルヴァ・アアルトが国民年金協会本部ビルの建築コンペティションで勝利を収めた1949年にはすでに始まっていました。現在、これらムンキニエミの集合住宅は一般的な分譲マンションとなっています。 この集合住宅は全部で4棟あり、住所は Riihitie 12-14、Tallikuja 2-4 にあります。建物の配置、サイズ、それぞれの建物の細部が住宅エリア全体を豊かなものにしています。この内の3棟は直方体で、角地にある棟はその土地に合わせた形状になっています。 4階、または5階建のこれらの住宅はそれぞれ道路に面して建てられており、中庭側には十分なスペースがあります。これは、庭を道路からの騒音などから防ぐためです、建物と一緒に噴水のある広場とその側に保育園を計画していましたが、噴水と保育園は実現しませんでした。道路の高さよりやや高くなった広場、庭や敷地内の通路は複雑に形成されています。当初は1棟の建物の1階に食料品店があり、より公共的なものにしようとアーケードを作りました。現在その場所はオフィススペースとして使用され、他の棟の1階にもオフィススペースがあります。 ムンキニエミの赤レンガの集合住宅は街並みとして一つにまとまっています。これらの明るい色調のレンガはこの集合住宅のために、H. G. パロヘイモ社(H. G. Paloheimo Oy)によって作られました。これらの住宅は外観のみの見学になります。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

国民年金協会ビル

ヘルシンキのアアルト建築 / 1953-56

国民年金協会の本部ビル(Kansaneläkelaitos/KELA、1953-1956年)はヘルシンキ中心部にほど近い場所にあります。味わいのあるモニュメントのようなこの建物はアアルトのオフィスビル建築の傑作と言っても過言ではありません。そして、今尚、建設当時と同じ用途のまま使用されています。 アイノとアルヴァ・アアルトは1949年、国民年金協会ビルの建築コンペティションで勝利を収めました。建設するにあたり、当初とは違う敷地へと移る事になり、新しく設計し直されました。新しい三角形の敷地には、建物を小さめのセクションに分け、建物自体が大きすぎる印象にならないようにしました。建物の中央には通りの騒音を考慮し、落ち着けるように高さのある中庭を作りました。これは、公共建築の特徴である近隣の建物との差別化によるものです。建物は公園に向かって階段状になっています。 建物全体では310部屋、延べ床面積が 22,500㎡、それぞれのスペースは使用者の立場に立って設計されています。内装の家具、照明、テキスタイル等は建物の全体感を考えてデザインされています。インテリアに使用された素材は各スペースの利用目的に応じて変えてあり、素材によってスペースが階層分けされています。 一般の人が利用する案内ホールは3階までの吹き抜けになっており、三角柱形状の天窓から光が差し込むようになっています。このホールには当初は28の相談窓口がありました。そして建物内には半フロアー程度下がった閲覧スペースのある小さな図書館があります。これは、アアルト設計のヴィボルグ(ロシア)の図書館(1935年)を思い起こします。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

フィンランディアホール 

ヘルシンキのアアルト建築 / 1962/1967-75

フィンランディアホール(Finlandia-talo)は1971年、ヘルシンキの中心部に建てられ、1975年には増築部分も完成しました。この建物は会議場、コンサートホールとして設計されました。こちらはガイド付きツアーでご見学頂けます。 フィンランディアホールの立地場所は、アアルトが1960年代に設計したヘルシンキ中心部の都市計画案に基づくものです。この建物はトォーロ湾(Töölönlahti)周辺の文化的建築群の一部にする計画でした。実現しなかったアアルトの都市計画案では、ヘルシンキの玄関口を湾の反対側に作る計画だったため、この建物の正面はそちらの方向を向いています。 外壁と内壁には大理石が使われていますが、これは地中海諸国の文化に興味を持っていたアアルトの意向です。インテリアデザインに関しては、家具類や照明器具は建物全体の統一感に細心の注意を払いデザインされました。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

キリヤタロ/書店ビル

ヘルシンキのアアルト建築 / 1961-69

キリヤタロ/書店ビル(Kirjatalo)は、アアルト設計のラウタタロ/鉄鋼業者協同組合ビル(Rautatalo)と同じ区画のヘルシンキの中心部にあります。1969年にアカデミア書店(Akateeminen Kirjakauppa)がこのビルに移転し、現在でも以前と変わらず書店として営業しています。 土地の所有者であるストックマン社(Oy Stockmann ab)が1961年から1962年にかけて建築設計のコンペティションを主催しました。アアルトは同じ区画にあるラウタタロと連動させたアイデアで勝利を収めました。 ケスクスカトゥ通り(Keskuskatu)側に銅板を使ったファサードをデザインした際には、隣接する建物との調和を意識しました。ラウタタロにある「大理石の庭」とは対比するアイデアで、内部の中心にはセンターホールを配置しました。センターホールには三角柱型の天窓から自然光が差し込みます。床面とセンターホールを囲むロフト部分の手すりにはカッラーラの大理石が使われています。 上のフロアーの一部は当初、オフィスが使用する予定でしたが、最終的には書店が利用するスペースになりました。ここは開放的な雰囲気を持つ書店になっており、このビルには2店のカフェがあります。2階のカフェ・アアルトでは、元々はラウタタロのカフェが使用していたアアルト家具の一部が使用されています。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

エンソ=グッツァイト株式会社の本社ビル

ヘルシンキのアアルト建築 / 1962

エンソ=グッツァイト(Enso-Gutzeit)の本社ビルは1962年、ヘルシンキの中心部、エテラサタマ港(Eteläsatama)に目を引く存在として完成しました。現在は製紙業社、ストラ・エンソ社(Stora Enso Oyj)の本社となっており、アアルト建築で最も論争の対象となる一つです。 アアルトはこの新しい本社ビルがヘルシンキの海岸線のシルエットの一部になるように設計しました。外装には白いカッラーラの大理石を使用し、北エスプラナーディ通り(Pohjoisesplanadi)にある建物の白い線と合うようにしました。建物は地上6階建てで、最上階は屋上テラスにしました。正面玄関へは回廊のような作りの部分を通って行きます。 内装は細部にまでこだわり、多くの家具や照明はこの建物のため特別にデザインされました。 エンソ=グッツァイト社やその他の製材、パルプ、森林業界の有名な企業はアアルトの重要な顧客でした。フィンランド中にある数多くの工場地帯、工場、居住地区などのアアルト建築をぜひご見学ください。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

ヘルシンキ・エネルギー社ビル

ヘルシンキのアアルト建築 / 1965-73

当初はヘルシンキ市エネルギー発電所として設計されたこの建物は、現在はヘルシンキ・エネルギー社のオフィスビルとしてヘルシンキの中心部、カンピ地区(Kamppi)にあります。これもまたフィンランディアホール(Finlandia-talo)同様に、1961年から始まったアアルトのヘルシンキ中心部の都市計画案によるもので、共に唯一実現したものです。設計は1965年から始まり、1973年に完成しました。 アアルトはこの建物を1939年に完成したカンピの変電所と統合した建築として設計しました。カンピの変電所は建築家グンナー・タウチャー(Gunnar Taucher)が設計を手掛けました。エネルギー社ビルは既存の変電所と屋根の線を揃えて設計され、新しい建物と古い建物を継ぎ目無く一体化させた良い例と言えます。この建物は現在カンピ周辺の街並みには欠かせない存在となっています。 このエネルギー社ビルは、もともと本社の他に電気や暖房熱の中央コントロール室、変電所、カスタマーサービスがありました。道路と同じ階にはカスタマーサービス、上の階にはオフィス用スペースを設計しました。最上階には会議室と従業員用の食堂があり、1階のカスタマーサービスのあるホールは吹き抜けになっており、天窓があります。この天窓は同じくアアルト設計の国民年金協会ビル(Kansaneläkelaitos, KELA、1952-1956年)の建物にも同じようなタイプの天窓が見られます。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

レストラン・サヴォイのインテリア

ヘルシンキのアアルト建築 / 1937

アールストローム(Ahlström)社は1937年にヘルシンキの中心部、南エスプラーナ通り(Etelä-Esplanadinkatu)とカサルミ通り(Kasarmikatu)の角にインダストリアルパレスと言われるオフィスビルを建設しました。アールストロームの社長であるハッリ・グリクセン(Harry Gullichsen)はビルの7階と8階にあるレストランとパーティー用スペースのインテリアデザインをアルヴァ・アアルトに依頼しました。家具はアルテック(Artek)で手掛けられました。 レストラン・サヴォイ(Ravintola Savoy)のインテリアはアイノとアルヴァ・アアルトが担当しました。彼らはヘルシンキの街並みに親しみやすいレストランを作ることを目指しました。レストランのテラスからは公園の向こうに街の中心が見える景色が広がります。テラスは設計初期の段階では、日本風、南ヨーロッパ風、そして北欧風と3つのスタイルが分かれていました。カーテンや食器などに合わせてインテリア全体をデザインし、内装には様々な種類の木が使用されました。自宅に居るようなレストランの雰囲気を出すために壁と天井には白樺の合板を使用しており、家具はほとんどがアルテックの製品です。室内ではアイノのクラブチェアー(Klubituoli / Club chai)、アアルトのゴールデンベル(A330S, Kultakello / Golden Bell)ランプが使われています。 レストラン・サヴォイはオリジナルの姿を残したまま現在でも営業しており、流行に惑わされないシンプルな機能主義スタイルが人気の秘決と言えるでしょう。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

文化会館

ヘルシンキのアアルト建築 / 1952-58

1958年、文化会館(Kulttuuritalo)はヘルシンキ中心部からほど近い場所に完成しました。ここはフィンランド共産党の多目的ホールとして設計され、コンサートホールの他に多様な文化活動のためのスペースが作られました。オフィス棟は会議場、文化活動用のスペースなどの他に110の部屋、コンサートホールのある棟には1500席あるホール、レストラン、そして地下には現在は会議室として使用されている小さな映画館がありました。更に、この2つの棟をつなぐ棟にはロビー、レクチャールーム、会議室、図書館、一番下の階には体育館がありました。 この建物には、コンサートホールや劇場のある赤レンガ仕上げの扇形の棟と、直方体で銅板仕上げのオフィス棟があります。正面玄関はこの2つの棟を繋ぐ背の低い棟にあり、中庭を通り入り口に辿り着きます。道路に沿った低い屋根(キャノピー)のある通路が玄関前の庭と通りを分け、それぞれの棟を統合しています。 アアルトによると、コンサートホールは音響を優先し設計されました。ホールの壁や天井の材料は会議場として、またコンサートホールとしても機能するように選定されました。 現在、ここはヘルシンキのコンサートやイベント会場として利用され、音響が良いと評判になっています。アアルトの家具や照明を使ったこの価値ある文化ホールは、1989年より建造物保護法が適用されています。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

ラウタタロ(鉄鋼業者協同組合ビル)

ヘルシンキのアアルト建築 / 1951-55

アアルト設計事務所は1951年に建築コンペティションで勝利を収め、1955年に鉄鋼業者協同組合ビル/ラウタタロ(Rautatalo)をヘルシンキの中心部に完成させました。建物の名前であるRautatalo(鉄の家の意味)はビルの所有者、鉄鋼業者組合に由来します。 ビジネスビルの内部は細部にまでこだわって設計されており、アアルトは隣にあるエリエル・サーリネン(Eliel Saarinen)が1920年に設計した建物との調和を考え、通り側のファサードには銅板を用いました。 建物のメインとなるのは大きな光のあたる空間で、床面にはカッラーラの白い大理石が使われていることから、通称「Marmoripiha(大理石の庭)」とよばれています。下のフロアーには店舗があり、オフィスフロアーは吹き抜けとなっている「大理石の庭」を囲むようになっています。天窓から大理石の庭に光が差し込む様子は、まるで地中海諸国の建築のようです。 ラウタタロは1991年より、建物とその一部の室内空間が建造物保護法で保護されています。ここは現在でもオフィスビルとして使われており、メインとなる光のあたる空間(大理石の庭)はカフェとして一般の方が利用できるようになっています。そのカフェのインテリアには一部アアルト家具が使われています。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

アアルト自邸

ヘルシンキのアアルト建築 / 1935-36

1934年アイノとアルヴァ・アアルトはヘルシンキのムンキニエミ地区(Munkkiniemi)のリーヒティエ通り(Riihitie)の自然豊かな場所に土地を購入し、自分たちの住居を設計し始めました。1936年に完成したこの建物はアアルト夫妻の自邸、兼アトリエとなりました。夫妻は自然の素材を使い、シンプルなデザインにする事で、モダン建築をソフトに表現しました。自宅を設計することにより、様々な素材や工法を試すこともできました。 同じ地区のティーリマキ通り( Tiilimäki)にアトリエが完する1955年までは、この建物がアアルトの設計事務所として使われていました。アルヴァ・アアルトは1976年に亡くなるまでこの家で暮らし、その後は後妻のエリッサ、そして彼の親族が住んでいました。建造物保護法で守られているこの建物は、現在、アルヴァ・アアルト財団の所有するミュージアムの内の一つで、一年を通してガイド付きツアーでご見学頂けます。また、自邸内にはミュージアムショップもあります。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

アアルトのアトリエ

ヘルシンキのアアルト建築 / 1954-55, 1962-63

アアルトのアトリエ/スタジオ(Alvar Aallon ateljee / Studio Aalto)はアアルト設計事務所のオフィスとして1955年に完成しました。ここはヘルシンキのムンキニエミ地区(Munkkiniemi)にあり、アアルト自邸から徒歩圏内にあります。アトリエへは一年を通しガイド付きツアーでご見学頂けます。 「建築芸術は、いわゆる事務所的な環境では生まれない。」とアルヴァ・アアルトは言っています。彼は自身の設計事務所に、自由な形のアトリエと自然光の差し込む製図スペースを設計しました。この建物は円形劇場を模した階段状の中庭を囲っています。アアルト設計事務所はこの白いアトリエの完成後すぐに拠点をここに移し、彼の多くの有名な仕事はこのアトリエで生まれました。 現在この建物は、アルヴァ・アアルト財団の本部オフィスとして使用されています。アトリエはガイド付きツアーでご見学いただけます、見学時間などはこちらからご確認ください。また見学ツアーのご予約などはこちらから。…

ヘルシンキにあるフィンランディアホール。写真:Rune Snellman

エロッタヤのパビリオン

ヘルシンキのアアルト建築 / 1949-51

避難所(防空壕)の入り口として設計された小さな建物がヘルシンキの中心部にあります。アカデミア書店の近く、エロッタヤのパビリオン(Erottajan pavilijonki)は一風変わったアアルト建築で、それはヘルシンキ中心部にある、彼の関わった大きなプロジェクトで実現しなかった設計の内の一つです。 エロッタヤのパビリオンの歴史は戦時中の変遷に関連があります。ヘルシンキ市は1941年、エロッタヤ区(Erottaja)の丘の下に避難所と環境整備に関する建築コンペティションを行いました。招待コンペティションの課題は避難所の入り口と、そこから繋がる施設、飲み物や新聞の販売店、電話ボックス等の設計でした。同時にエロッタヤ周辺の新しい交通システムの設計も含まれていました。アアルト設計事務所は「Hurra för den lilla skillnaden」と名付けた作品でコンペティションの勝利を収めました。エロッタヤのパビリオンはアアルトがヘルシンキで手掛けた初期建築の一つです。 戦況のため、アアルトのアイデアは実現せずに終わり、そこに建てられたのは一時的な木造の建物と階段でした。結局、現在のパビリオンが建てられたのは1951年になってからのことでした。アアルトはコンペティション当時の案に手を加えることを希望したため、実現したパビリオンは当初の案とはかけ離れてしまいました。彼の設計事務所が手掛けたのはパビリオンの地上部分とそこから地下に続く階段でした。パビリオンの地下部分を設計したのはヘルシンキ市の設計事務所でした。アアルトのアイディアの新しい交通システムも実現せずに終わりました。…

案内

基本情報

ヘルシンキ市(Helsinki)へのアクセス

ヘルシンキまでは飛行機を含む様々公共交通機関がご利用頂けます。ヘルシンキ中央駅(Rautatieasema)までは電車にて、ヘルシンキのバスターミナル、カンピ(Kamppi)までは Matkahuolto(マトゥカフオルト)や Onnibus(オンニブッシ)のバスの利用が便利です。ヘルシンキ・ヴァンター空港(Helsinki-Vantaa Airport)では国際線、国内線の飛行機がご利用いただけます。

ヘルシンキ周辺の公共交通機関はバス、電車、トラム(路面電車)などが便利にご利用頂けます。運行時間やその他アアルトの旅の訪問先へのルート検索などの詳細はこちらからご覧ください。

その他ヘルシンキ観光案内はこちらから。

Alvar Aalto web shop ではヘルシンキのアルヴァ・アアルト建築に関する本と図面(PDF)をお買い求めいただけます。